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朝ドラ『ばけばけ』トキのモデル・小泉セツはどんな人?

朝ドラ『ばけばけ』トキのモデル・小泉セツはどんな人? エンタメ

2025年度後期の朝ドラ『ばけばけ』のヒロイン、松野トキのモデルとなった小泉セツ。彼女は一体どんな人物だったのでしょうか?

この記事では、名家に生まれながらも時代の波に翻弄され、最初の結婚に失敗するなど波乱の人生を送りながらも、のちに夫となる作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と運命的な出会いを果たしたセツの生涯に迫ります。

ハーンの代表作『怪談』の誕生には、実はセツの類まれな語りの才能が不可欠でした。

彼女がいかにしてハーンの創作意欲を刺激し、「共同製作者」とまで言われる存在になったのか。言葉の壁を乗り越え、18歳の年の差も超えて深い愛情で結ばれた二人の夫婦物語を、出会いから結婚、そして創作の裏側まで詳しく解説します。

セツの知られざる魅力と、夫婦の絆の物語をぜひご覧ください。

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朝ドラ『ばけばけ』トキのモデル・小泉セツはどんな人?

小泉セツ

2025年度後期のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』のヒロインのモデルである小泉セツは、明治時代の作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻であり、彼の創作活動を支えた重要なパートナーです。

士族の家に生まれながらも時代の変化に翻弄され、最初の結婚に失敗するなど波乱の人生を送りましたが、ハーンと出会い、その才能を開花させました。

小泉セツの人物像

小泉セツ(本人は「節子」と名乗ることを好んだ)は、1868年(慶応4年)に松江藩士の次女として生まれました。実家も母方も名家でしたが、生後すぐに子供のいなかった親類の養女に出されます。

彼女の人生は幼少期から波乱に満ちていました。

士族の没落と苦労
明治維新による士族の没落で生活は困窮し、勉強好きであったにもかかわらず進学を諦め、11歳から機織りの仕事で家計を支えました。

最初の結婚と破綻
18歳で婿養子を迎え結婚しますが、夫が貧しい生活に耐えきれず約1年で出奔してしまいます。セツは22歳で離婚し、実家に戻りました。

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ラフカディオ・ハーンとの夫婦物語

ラフカディオ・ハーンとの夫婦物語
ウィキペディア

生活に困窮していたセツは、当時松江で英語教師をしていたラフカディオ・ハーンの家に住み込みの女中として働くことになります。これが二人の運命的な出会いでした。

出会いと結婚

「怪談好き」という共通の趣味がきっかけで二人は意気投合し、同居からわずか半年で結婚しました。当時ハーンは41歳、セツは22歳でした。

創作のパートナーとして

ハーンの代表作である『怪談』に収められた「耳なし芳一」や「雪女」といった物語は、セツが語り聞かせた日本の民話や伝説が原案となっています。

セツはハーンの創作活動における「共同製作者」ともいえる存在でした。

彼女は、執筆に集中するハーンのために、物語を口頭で伝え続けました。セツの語り手としての卓越した才能は、ハーンの作品に不可欠なものでした。

夫婦生活とその後

二人はハーンの転勤に伴い、熊本、神戸、東京と各地を転々としました。ハーンは1896年に日本国籍を取得し、「小泉八雲」と名乗るようになります。

夫婦の間には三男一女が生まれました。

1904年にハーンが54歳で亡くなった後も、セツは遺された資産で生活に困ることなく4人の子供を育て上げ、1932年に64歳でその生涯を閉じました。

二人の睦まじい関係は、後にセツが語った内容をまとめた『思い出の記』からも伺い知ることができます。

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セツの幼少期と養女に出された経緯

小泉セツは、実家である小泉家と養家の稲垣家との間に交わされた約束により、生後わずか7日で稲垣家の養女となりました。

養父母からは「オジョ(お嬢)」と呼ばれ大切に育てられましたが、明治維新後の士族の没落により、幼い頃から家計を支えるために苦労を重ねました。

稲垣家への養子縁組

セツが養女に出された背景には、いくつかの理由が重なっています。

養家に跡継ぎがいなかった

セツの養父母となる稲垣金十郎・トミ夫妻には子供がいませんでした。

両家の約束

セツの実母・チエと稲垣家の間には、次に子供が生まれたら養子に出すという約束が事前に交わされていました。

家格の違いと結びつき

セツの実家である小泉家は禄高三百石の「上士」という上級武士の家柄でした。一方、養家の稲垣家は禄高百石の「並士」であり、家格に差がありました。

格上の家から養女を迎えることで、稲垣家はセツを「オジョ(お嬢)」と呼び、非常に大切に育てたとされています。

養父母のもとでの幼少期

養父母に慈しまれて育ったセツですが、その幼少期は時代の変化に翻弄される苦難の連続でした。

明治維新後、士族階級が没落したことで稲垣家の生活は困窮します。セツは学業熱心であったにもかかわらず、11歳で上級学校への進学を断念せざるを得ませんでした。

その後は家計を助けるため、機織りの仕事に従事し、実家の小泉家と養家の稲垣家の両方を支え続けました。

この困窮した生活が、後のセツの人生に大きな影響を与えます。最初の結婚では、婿養子に来た夫が稲垣家の貧しさに耐えかねて1年ほどで出奔してしまいました。

そして、家族を養うという切実な思いから、当時としては異例であった外国人教師(ラフカディオ・ハーン)の住み込み女中という仕事に就く決断へと繋がっていったのです。

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セツとハーンの出会いと結婚の経緯

小泉セツとラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の出会いは、1891年(明治24年)、当時松江で英語教師をしていたハーンの家に、セツが住み込みの女中として働き始めたことがきっかけです。

当初は雇い主と使用人の関係でしたが、二人はすぐに惹かれ合い、言葉や文化の壁を乗り越えて生涯のパートナーとなりました。

運命的な出会いと惹かれ合った理由

最初の結婚に破れ、家族を養うために働かなければならなかったセツは、22歳の時に当時40歳だったハーンの家で働くことになりました。

初対面から二人は互いに好印象を抱いたとされています。

共通の関心事

二人を結びつけた大きな要因は「物語」、特に日本の怪談や昔話への共通の興味でした。ある日、セツが鳥取の旅館で聞いた怪談話をハーンに語って聞かせたところ、彼は「あなたは私の手伝いできる人です」と大変喜びました。

物語好きだったセツは、ハーンにとって最高の語り手であり、創作のインスピレーションの源泉となったのです。

互いの人柄

セツはハーンのことを「ごく正直者でした。微塵も悪い心のない人でした。女よりも優しい親切なところがありました」と語っており、その誠実で優しい人柄に惹かれていました。

言葉の壁と「ヘルンさん言葉」

出会った当初、ハーンは日本語が全く話せず、セツも英語が話せませんでした。セツは英語を学ぼうと試みましたが上達せず、二人の間には大きな言葉の壁がありました。

しかし、二人は次第に「ヘルンさん言葉」と呼ばれる独自のコミュニケーション方法を編み出します。これは、助詞を省き、語順や活用を気にしない、片言の日本語でした。

例えば「スタシオンニ タクサン マツノ トキ アリマシタナイ」(駅で待ち時間があまりありませんでした)といった具合です。この二人だけの言葉を通じて、彼らは心の距離を縮めていきました。

事実婚から正式な結婚へ

出会ってから間もなく、二人は恋愛関係となり、事実上の夫婦生活を始めます。

1891年11月にハーンが熊本の第五高等中学校へ転勤になると、セツも養父母を連れて一緒に熊本へ移り住みました。この時点ではまだ事実婚の状態でした。

正式な結婚へと踏み切るきっかけは、1893年に長男・一雄を授かったことでした。

当時の日本の法律では、外国人と日本人の間に生まれた子供は、父親の国籍しか取得できず、母親の戸籍に入ることもできませんでした。

ハーンは、自身が亡くなった場合に妻子が財産を相続できず、路頭に迷うことを深く憂慮しました。

愛する家族を守るため、ハーンは日本国籍を取得する決意を固めます。

そして1896年、セツの戸籍に夫として入る「入夫」という形で帰化し、正式に結婚しました。この時、ハーンは「小泉八雲」という日本名を名乗るようになります。

こうして二人は法的に夫婦となり、ハーンはセツを創作活動を支えるリテラリー・アシスタントとして、そして生涯の伴侶として深く愛し続けました。

ハーンは息子に「この本、みなあなたのおかげで生まれましたの本です。世界で一番良きママさん」と語るほど、セツへの感謝と愛情を忘れませんでした。

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セツが八雲の創作に与えた影響と具体例

小泉セツは、夫である小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の創作活動において、単なる物語の提供者にとどまらない、真の「共同製作者」とも呼べる極めて重要な存在でした。

八雲自身が日本語の読み書きに不慣れだったため、セツの卓越した語りの才能と日本文化への深い理解が、彼の作品に命を吹き込みました。

語り部としての共同作業

八雲の代表作の多くは、セツが語る日本の昔話や怪談を基にしています。二人の創作過程は、単なる翻訳作業ではありませんでした。

暗唱による語り

八雲はセツに対し、本を読みながら話すことを固く禁じ、「あなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません」と要求しました。これにより、セツは物語を完全に自分のものとして消化し、夢に見るほど深く没頭してから語る必要がありました。

反復による創作

創作のプロセスは非常に丁寧なものでした。

  1. まず、セツが物語のあらすじを語ります。
  2. 八雲がそれを「面白い」と感じると、セツはその筋を書き留めます。
  3. その後、八雲は「もっと詳しく話せ」と求め、セツは何度も何度も同じ話を繰り返し語りました。
    八雲は、セツの語りを通じて物語の世界に深く入り込み、そこから得たインスピレーションを自身の母語である英語で再構築していったのです。

八雲の作品への具体的な影響

セツの語りがなければ生まれなかったとされる作品は数多く存在します。特に有名なのが、八雲の代表作『怪談(Kwaidan)』に収録されている物語です。

『怪談』の原話

耳なし芳一」「雪女」「むじな」「ろくろ首」といった、今日でも広く知られる物語は、すべてセツが語った話が原案となっています。これらは、八雲とセツの共同作業によって生み出された文学作品と言えます。

日本文化の案内役として

セツの貢献は、物語の提供だけではありませんでした。彼女は、八雲が日本人の精神性を深く理解するための不可欠な案内役であり、「文化的調整者」でもありました。

文化的背景の伝達
セツは、日本の季節感、宗教観、死生観といった、言葉だけでは伝わりにくい文化の機微を八雲に伝えました。これにより、八雲の作品には、単なる物語の紹介を超えた、日本文化への深い洞察が反映されることになったのです。

創作における助言

セツは、八雲の執筆作業において、日本文化の解釈や表現について助言を行うこともありました。八雲の好みを深く理解し、彼の創作に適した話題や表現方法を提供することで、作品の質と深みを高めることに貢献しました。

八雲のひ孫にあたる民俗学者の小泉凡氏も「セツの存在なくしてはありえなかったでしょう」と語るように、セツは伴侶としてだけでなく、八雲の創作に魂を注ぎ込むための、かけがえのないパートナーだったのです。

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セツの『思い出の記』の内容と入手方法

小泉セツの『思い出の記』は、夫である小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、愛称ヘルン)と過ごした13年8ヶ月にわたる結婚生活を、セツ自身の視点から愛情深く綴った回想録です。

八雲の素顔や夫婦の心温まる日常、そして彼の創作の裏側を知ることができる貴重な記録として知られています。

『思い出の記』の内容

この回想録は、セツが八雲研究家の田部隆次に語った内容を基にまとめられたもので、八雲の死後に出版された伝記に収録されました。内容は多岐にわたりますが、主に以下のような夫婦の日常が描かれています。

夫・八雲の素顔

正直で無邪気、そして時に意地っ張りな八雲のユニークな人柄が、セツの温かい眼差しを通して生き生きと描かれています。

弱者を慈しむ優しさや、自然と静寂を愛する姿など、作品だけではわからない「ヘルンさん」の人間的な魅力に触れることができます。

夫婦の愛情深いやりとり

二人が互いを「パパさん」「ママさん」と呼び合い、「ヘルンさん言葉」と呼ばれる独特の片言の日本語でコミュニケーションを取っていた様子が詳しく記されています。

例えば、八雲が寺に住みたいと相談すると、セツが「あなた、坊さんでないですから、むつかしいですね」と返すなど、仲睦まじい夫婦の会話が読者の心を和ませます。

家族との時間

三男一女に恵まれた小泉家の穏やかな日常も描かれています。子供たちが寝る前に「パパ、グッドナイト、プレザント、ドリーム」と挨拶し、八雲が「ザ、セーム、トウ、ユー(君もね)」と返すのが常であったことなど、家族の愛情あふれる暮らしぶりが伝わってきます。

創作の裏側

セツが語り部として、いかに八雲の創作を支えたかが具体的に語られています。八雲に怪談や民話を語って聞かせる様子は、『怪談』などの作品が生まれる背景を知る上で非常に興味深い内容です。

『思い出の記』の入手方法

『思い出の記』は、デジタル版と書籍版の両方で読むことが可能です。

1. デジタル版(無料)

青空文庫
『思い出の記』は、インターネット上の電子図書館「青空文庫」で全文が無料公開されています。いつでも気軽に作品に触れることができます。

2. 書籍版(有料)

近年、朝ドラのモデルとして注目が集まっていることから、新装版や関連書籍が複数出版されています。

ハーベスト出版『思ひ出の記』

小泉八雲記念館の監修のもと、2024年9月に発行された新装版です。現代の読者にも読みやすいよう、一部の旧字・旧仮名遣いを改め、注釈が加えられています。

また、これまで未公開だったセツの手記「オヂイ様のはなし」「幼少の頃の思い出」も収録されており、大変貴重な一冊です。

全国の書店やオンラインストアで購入できますが、人気のため品切れや予約販売となっている場合があります。

『小泉八雲のこわい話・思い出の記』(Gakken)

八雲の怪談作品とセツの『思い出の記』を合わせて収録した書籍です。

こちらも現代仮名遣いに編集され、注釈が付いているため読みやすくなっています。各オンライン書店で取り扱いがあります。

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松江で訪れるべき「怪談」ゆかりの史跡

松江市は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が「神々の国の首都」と呼び、妻セツと暮らした地であり、彼の代表作『怪談』の源泉となった物語が数多く残されています。

市内には、八雲が作品の着想を得た場所や、物語の舞台となった史跡が点在しており、「怪談」の世界に浸ることができます。

八雲とセツゆかりの中心的な史跡

まずは、八雲の松江での暮らしと創作活動を深く知ることができる中心的なスポットを紹介します。これらの史跡は松江城周辺に集まっており、徒歩で巡ることができます。

施設名概要所在地
小泉八雲記念館八雲の直筆原稿や遺愛品など約200点を収蔵・展示。八雲の生涯や、妻セツとの暮らしぶり、多面的な作家としての一面を知ることができます。島根県松江市奥谷町322
小泉八雲旧居(ヘルン旧居)八雲とセツが約5ヶ月間暮らした武家屋敷。八雲はこの家の庭をこよなく愛し、著書『知られぬ日本の面影』でも詳しく描写しました。国指定史跡です。島根県松江市北堀町315

『怪談』の舞台を巡る

八雲がセツから聞いた話などを基に書き記した怪談の舞台となった場所も、市内に点在しています。

松江城

松江のシンボルである国宝・松江城は、八雲にとっては不気味な存在に映ったようです。城にまつわる怪談として、以下のスポットが知られています。

ギリギリ井戸

築城の際、石垣が何度も崩れるため掘ったところ、錆びた槍が刺さった頭蓋骨が出土。手厚く供養すると工事が無事に進んだという逸話が残る井戸です。

人柱伝説

築城が難航した際、美しい娘を人柱にしたという悲しい伝説が伝わっています。その後、盆踊りで若い娘が踊るたびに天守が揺れたため、城下での盆踊りが禁じられたといわれています。

普門院(ふもんいん)

怪談「小豆とぎ橋」の舞台として知られる寺院です。この寺の前の橋で謡曲「杜若(かきつばた)」を謡うと、恐ろしい災いが降りかかると言い伝えられています。

大雄寺(だいおうじ)

境内にある墓地が、怪談「飴を買う女」の舞台とされています。

清光院(せいこういん)

横恋慕した侍に斬り殺された芸者・松風の亡霊が現れるという伝説が残る寺院です。

怪談の世界を体感するツアー

これらの史跡や物語をより深く体験したい方には、「松江ゴーストツアー」がおすすめです。

語り部と共に夜の松江を巡り、暗闇の中で怪談話に耳を傾けることで、五感を研ぎ澄ませて物語の世界を体感できます。小泉八雲のひ孫である小泉凡氏がナビゲーターを務める特別な日も設定されています。

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まとめ:朝ドラ『ばけばけ』トキのモデル・小泉セツはどんな人?

この記事では、朝ドラ『ばけばけ』のヒロインのモデルとなった小泉セツの波乱に満ちた生涯と、夫・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)との心温まる夫婦の物語を詳しく解説してきました。

士族の没落、望まぬ養子縁組、そして最初の結婚の失敗という苦難を乗り越え、セツは運命の人ハーンと出会います。

二人は言葉の壁や文化の違いを乗り越え、「ヘルンさん言葉」という独自のコミュニケーションで絆を深めました。

セツの卓越した語りの才能は、ハーンの代表作『怪談』を生み出す原動力となり、彼女は単なる妻ではなく、創作における不可欠な「共同製作者」でした。

この記事を通じて、逆境に屈せず、愛する夫と家族を支え続けたセツのしなやかな強さと、二人の深い愛情に満ちた関係性を感じていただけたなら幸いです。

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