2025年秋から放送されるNHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ばけばけ』。
この物語は、明治時代の日本を愛し、日本の怪談話を世界に広めた作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と、その妻である小泉セツをモデルに描かれます。
物語の重要な舞台となるのが、二人が運命的な出会いを果たした島根県松江市です。
国際色豊かな背景を持ちながらも心に孤独を抱えた八雲と、士族の家に生まれながらも時代の波に翻弄されたセツ。
この記事では、それぞれが波乱の半生を送り、松江で出会った二人の「数奇な運命」を紐解きながら、不朽の名作『怪談』がどのようにして生まれたのか、その背景に迫ります。
『ばけばけ』のモデル、小泉八雲と妻セツの数奇な運命とは?

『ばけばけ』のモデル、小泉八雲の波乱に満ちた前半生

複雑な出自と視力の喪失
小泉八雲、本名はパトリック・ラフカディオ・ハーン。
1850年、ギリシャのレフカダ島で、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれました。
国際的な環境で生まれましたが、幼い頃に両親が離婚。
アイルランドのダブリンに住む大叔母に引き取られ、厳格なカトリックの教育を受けながらも、孤独な少年時代を送ります。
さらに彼に追い打ちをかけたのが、16歳の時の事故でした。
学友と遊んでいる最中の事故で左目を失明。これが彼の外見にコンプレックスを与えると同時に、独特の観察眼を養うきっかけになったとも言われています。
アメリカへの移住と来日
19歳の時、彼を育ててくれた大叔母が破産。
ハーンはわずかなお金だけを渡され、単身アメリカのシンシナティへと渡ります。
そこで彼は、新聞記者としてその日暮らしの厳しい生活を送りました。
持ち前の文才で徐々に頭角を現し、ジャーナリストとして活躍の場を広げていきます。
そして1890年、40歳になったハーンに転機が訪れます。
新聞社の特派員として日本へ渡ることになったのです。
当時のアメリカで広まっていたジャポニスム(日本趣味)の影響もあり、日本に強い憧れを抱いていたハーン。
初めて日本の土を踏んだ彼は、その文化や人々の精神性に深く魅了され、日本に留まることを決意します。

もう一人の主人公、妻・小泉セツの苦難の道のり

名家の生まれと士族の没落
一方、『ばけばけ』のもう一人の主人公である妻・セツは、1868年に松江藩の士族・小泉家の次女として生まれました。
※戸籍上の名前は小泉 セツですが、本人は節子の名を好んだとのことです。
彼女が生まれた直後に明治維新が起こり、武士の時代は終わりを告げます。
これにより小泉家は没落し、生活は一変。セツの人生もまた、苦難の道を歩むことになります。
生後すぐに親戚の家へ養子に出され、11歳の頃には機織りをして家計を支えるなど、幼い頃から大変な苦労を重ねました。
最初の結婚の破綻
あまり知られていませんが、セツは八雲と出会う前に一度結婚を経験しています。
18歳の時に結婚したものの、その夫が借金を残して出奔(しゅっぽん)、つまり姿を消してしまったのです。
若くして離婚を経験し、実家に戻ったセツ。
彼女もまた、時代の変化に翻弄され、心に傷を負いながら生きていた一人の女性でした。
松江での運命の出会いと「小泉八雲」の誕生

言葉と文化を超えた絆
来日したハーンは、知人の紹介で島根県松江の尋常中学校に英語教師として赴任します。
そして、住み込みで働く女性を探していたハーンのもとに紹介されたのが、当時22歳のセツでした。
これが二人の運命の出会いです。
当初は言葉も通じず、文化も全く違う二人でしたが、ハーンはセツの語る日本の古い物語や伝承に、たちまち心を奪われていきました。
特に、松江に古くから伝わる「化け物」や不思議な話に、彼は大きな興味を示したのです。
妻は『怪談』の共同制作者
実は、八雲の代表作である『怪談』に収められている「耳なし芳一」や「雪女」「ろくろ首」といった物語の多くは、セツが八雲に語り聞かせたものが元になっています。
セツはただ物語の筋道を話すだけではありませんでした。
登場人物の気持ちや情景が目に浮かぶように、身振り手振りを交えながら感情豊かに語ったといいます。
左目が不自由で、日本の文字を読むことが困難だった八雲にとって、セツの語りは創作の源泉そのものでした。
セツは単なる妻や助手ではなく、八雲の創作活動に命を吹き込んだ、かけがえのない「共同制作者」だったのです。
「小泉八雲」としての新たな人生
ハーンはセツと、彼女が語る日本の物語に深く惹かれ、結婚を決意します。
そして、日本に永住するために、1896年に日本へ帰化。
妻の姓である「小泉」と、出雲地方にかかる枕詞「八雲立つ」からとった「八雲」を組み合わせ、「小泉八雲」と名乗るようになります。
これは、彼がどれほど妻セツと、彼女が生まれ育った出雲の地を愛していたかの証と言えるでしょう。
八雲とセツが愛した島根・松江のゆかりの地
ドラマの舞台となる松江には、今も二人の面影を感じられる場所が数多く残っています。
小泉八雲記念館・小泉八雲旧居(ヘルン旧居)
二人が新婚生活を送った武家屋敷です。八雲が愛したとされる庭を眺めながら、当時の生活に思いを馳せることができます。
記念館には、八雲の遺品や直筆原稿などが展示されており、彼の生涯を深く知ることができます。
参考:小泉八雲記念館公式サイト
八重垣神社
縁結びの神様として知られる神社で、八雲も深い関心を寄せていました。
特に、和紙に硬貨を乗せて池に浮かべる「鏡の池」の縁占いは有名です。八雲もこの神秘的な占いの様子を著作に書き残しています。
日御碕神社や加賀の潜戸(かかのくけど)
八雲は松江の自然、特に日本海の荒々しくも美しい風景を愛しました。
断崖絶壁に立つ日御碕神社や、神秘的な洞窟である加賀の潜戸を訪れた際の感動を、紀行文『知られぬ日本の面影』の中で生き生きと描写しています。
これらの場所を訪れると、ドラマ『ばけばけ』の世界をより一層深く体感できるはずです。
参考:松江観光協会公式サイト

まとめ:『ばけばけ』のモデル「小泉八雲と妻セツ」の数奇な運命とは?
ギリシャで生まれ、アイルランド、アメリカと渡り歩き、心の安住の地を日本に見出した小泉八雲。
そして、武家の娘として生まれながらも、時代の波に翻弄され苦労を重ねたセツ。
それぞれが苦難の人生を歩んできたからこそ、二人は言葉や文化の壁を越え、互いの魂を深く理解し、支え合うことができたのではないでしょうか。
西洋の合理主義に疑問を抱いていた八雲にとって、セツが語る日本の古い物語は、人間が自然と共に生きていた時代の精神性を感じさせる、宝物のようなものでした。
異なる背景を持つ二人の奇跡的な出会いが、埋もれかけていた日本の美しい物語に光を当て、世界的な名作『怪談』を生み出すことにつながったのです。
2025年秋の朝ドラ『ばけばけ』。
このドラマを通して、小泉八雲とセツの愛と絆の物語に触れることで、私たちは日々の生活の中にある小さな奇跡や、文化を超えたつながりの大切さを改めて感じることができるかもしれません。
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