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【全文】広島県知事の平和宣言「抑止力から核を除去せよ」湯崎氏のプロフィール

広島県知事の平和宣言 湯崎氏のプロフィール ニュース

被爆から80年、広島は再び世界中の注目を浴びています。

025年平和記念式典で、広島県知事・湯崎英彦さんが発した「抑止力から核を除去せよ!」という強い呼びかけが、今多くの人々の関心を集めています。

核抑止という考え方の根本に疑問を投げかけ、「核兵器のない平和な社会」を目指す姿勢は、被爆地である広島だからこそ重みのあるメッセージとして受け止められています。

この記事では、湯崎英彦知事の人物像や80年目の節目となる平和宣言の意図、その歴史的背景と国内外の反響、広島が掲げる非核平和のこれからについて、わかりやすく丁寧に解説します。

今、なぜ「抑止力から核の除去」が求められているのか、その答えを一緒に考えてみませんか。

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「抑止力から核を除去せよ」広島県知事・湯崎英彦、80年目の平和宣言【あいさつ全文】

出典元:【広島の世界遺産】原爆ドーム(被爆前)
出典元:【広島の世界遺産】原爆ドーム(被爆後)

被爆80年、広島が発する新たな平和への問い

2025年8月6日、広島は原爆投下から80年という極めて重要な節目を迎えました。

この日に行われた平和記念式典において、広島県知事・湯崎英彦氏が提唱し続けてきた「核兵器に依存しない、新たな安全保障」への強いメッセージが、平和宣言を通じて改めて発せられ、かつてないほどの重みをもって国内外の注目を集めました。

ロシアによるウクライナ侵攻と核による威嚇、緊迫するアジア情勢など、世界で核使用のリスクが「冷戦後最悪」と言われるほど高まる中、被爆地ヒロシマのリーダーが発したメッセージは、私たち一人ひとりに「真の平和とは何か」を鋭く問いかけるものとなりました。

平和記念式典での広島県の湯崎知事のあいさつ全文

平和記念式典での広島県の湯崎知事のあいさつの全文を以下にご紹介します。

被爆80年目の8月6日を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊に、広島県民を代表して謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお苦しみの絶えない被爆者や御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。

草木も生えぬと言われた75年からはや5年、被爆から3代目の駅の開業など広島の街は大きく変わり、世界から観光客が押し寄せ、平和と繁栄を謳歌しています。しかし同時に、法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、剥き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、私達は今、この繁栄が如何に脆弱なものであるかを痛感しています。

このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし本当にそうなのでしょうか。確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。

一方で、歴史が証明するように、ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。

自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、身を以て示しています。

実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、核兵器使用手続の意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。

国破れて山河あり。

かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。

国守りて山河なし。

もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味あるのでしょう。

抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。

核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。

核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。被爆で崩壊した瓦礫に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進み、最後は抜け出して生を掴んだように、実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標です。

“諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。そこに向かって這っていけ。”(THE NOBEL FOUNDATION, STOCKHOLM, 2017 広島県による翻訳※)

這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか。

広島県として、核兵器廃絶への歩みを決して止めることのないことを誓い申し上げて、平和へのメッセージといたします。

令和7年8月6日
広島県知事湯崎英彦

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広島県知事・湯崎英彦氏のプロフィールなど

湯崎英彦 - Wikipedia
湯崎英彦氏

湯崎英彦(ゆざき ひでひこ)氏は、1965年10月4日、広島県佐伯郡五日市町(現在の広島市佐伯区)で生まれました。

父親は、社会学者で広島大学総合科学部の元教授・湯崎稔氏です。

湯崎稔氏
湯崎稔氏

家族構成は妻と3人の子ども(長男・長女・次男)の5人家族で、奥様は一般の方ですが、公には多くの詳細は公表されていません。

趣味はスキー、キャンプ、サイクリングなどアウトドア。また、バーベキューやメバルの煮つけといった家庭的な料理も好きだそうです。

なお、ご自身が第3子誕生時に都道府県知事として全国で初めて育児休暇を取得したことも大きな話題となりました。

■ 学歴

  • 小学校:広島市立五日市南小学校
  • 中学校:広島大学附属中学校
  • 高校:広島大学附属高等学校
    高校時代にはアメリカ・カリフォルニア州サクラメントに約1年間の交換留学を経験しています。
  • 大学:東京大学法学部卒業
  • 大学院:スタンフォード大学大学院経営学修士課程(MBA)修了

■ 経歴
大学卒業後の1990年、通商産業省(現・経済産業省)に入省し、機械情報産業局、自動車課、中小企業庁などで活躍。

その後、資源エネルギー庁や通商政策局において各課長補佐なども歴任しました。

1995年には国費留学でアメリカ・スタンフォード大学のビジネススクールへ進学し、MBAを取得。

帰国後はシリコンバレーのベンチャーキャピタル「イグナイト・グループ」に出向し、国際感覚や経営ノウハウを深めました。

2000年には通産省を退官し、ITベンチャー企業「アッカ・ネットワークス」を設立して起業家として活躍し、同社を年商300億円規模に成長させました。

2009年11月に広島県知事に就任し、現在4期目。

産業振興や「イクメン知事」として話題になった働き方改革で実績を上げる一方、被爆県のリーダーとして、現実的な平和へのアプローチを粘り強く続けています。

その姿勢は、単なる理想論ではなく、具体的な政策と国際的な対話に基づいているのが特徴です。

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2025年・被爆80年の平和記念式典で、湯崎知事が訴えた「新たな安全保障」

2025年8月6日、被爆80年を迎えた平和記念式典において、広島県の湯崎英彦知事は、平和宣言の中で従来の「核抑止力」の危うさに警鐘を鳴らし、「核兵器を安全保障の中心から外すこと」を改めて力強く訴えました。

これは、核を持つことで攻撃を思いとどまらせるという従来の安全保障の考え方そのものに、被爆地から挑戦するメッセージです。

被爆80年という歴史的な節目と、緊迫する国際情勢が交差する中で発せられたこの宣言は、極めて象徴的なものとなりました。

「核抑止からの転換」――宣言の主旨と背景

湯崎知事のこのたびの宣言の背景には、かねてより指摘してきた深刻な現実認識があります。

核を巡る国際情勢の悪化

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の2024年版年鑑によると、実戦配備の核弾頭数は増加傾向にあり、世界全体の核弾頭総数は約12,100発と、依然として地球を何度も破壊できる量が存在します。

特にロシアによる核の威嚇や、中国の急激な核戦力拡大(米国防総省は2035年までに1,500発に達すると予測)といった現状は、「核抑止が機能している」とは言えない状況を生み出しています。

具体的な行動による平和構築

湯崎知事は、具体的な議論の場として「ひろしまラウンドテーブル」を主催。米・中・露を含む各国の専門家を広島に招聘し、核軍縮に向けた現実的な道筋を議論してきました。

その成果は「ひろしまウォッチ」としてまとめられ、NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議などの国際会議の場に届けられています。

核兵器禁止条約(TPNW)の広がり

2021年に発効したTPNWは、2024年9月時点で批准国・地域が73、署名国・地域が94に達し、核を「非人道的な違法兵器」とする国際規範を広げています。

知事の宣言は、この流れをさらに加速させる意図を持つものです。

国内外に広がる波紋――現実論と理想の狭間で

湯崎知事の「核抑止からの転換」という宣言は、国内外で様々な議論を呼んでいます。

共感と支持の声

被爆者団体や多くの市民、そして核兵器禁止条約を推進する非核保有国からは、「被爆地が発すべき本質的なメッセージだ」「未来への責任ある発言」といった強い支持が寄せられています。

特に、安全保障のあり方が多様化する現代において、若い世代からの共感も広がっています。

慎重論と批判

一方で、核保有国や日本の安全保障政策の専門家などからは、「理想論であり、現実的ではない」「日本の安全をどう守るのか」といった慎重な意見や批判も上がっています。

日本の安全保障が米国の「核の傘」に依存している現実を前に、具体的な代替案がなければ無責任だ、という指摘です。

この宣言を機に、賛否両論が改めて表面化し、議論を深めるべき重要な局面を迎えています。

被爆地広島の挑戦――次世代へつなぐ平和へのビジョン

今回の宣言は、被爆80年という節目に合わせて広島県が進めてきた、平和への取り組みの延長線上にあります。県は今後もこれらの取り組みをさらに強化していく方針です。

新たな形の平和教育

自転車で被爆遺産を巡り、復興の歩みを体感する「RIDE FOR PEACE」のような、スポーツや文化と平和を融合させた新しい形のピースツーリズムを推進しています。

国際社会への働きかけ

「ひろしまラウンドテーブル」や、世界の賢人が集う「国際賢人会議」といったプラットフォームを活用し、広島を「核なき世界」を議論する世界的な拠点とすることを目指しています。

若者の参画

県の平和推進事業には多くの学生ボランティアが参加しており、彼らが主体的に平和について学び、発信する機会が創出されています。

湯崎知事は、式典での宣言とともに、これらの活動を通じて、被爆者の体験を継承するだけでなく、未来志向の平和文化を創造し、国際社会との連携を強化していくビジョンを改めて明確にしました。

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まとめ:【全文】抑止力から核を除去せよ!広島県知事・湯崎英彦、80年目の平和宣言

この記事では、被爆から80年という歴史的な節目に広島県知事・湯崎英彦さんが発した「抑止力から核を除去せよ!」という強い平和宣言を中心に、氏の人物像やこれまでの経歴、式典の発言が持つ時代的・国際的意義、そして広島が目指す未来の姿を紹介してきました。

湯崎英彦知事が提唱する「核抑止からの転換」は、被爆地・広島だからこそ発信できる、重く、そして未来に向けた責任あるメッセージです。

それは、核兵器の存在を前提とした恐怖の均衡ではなく、対話と協力による持続可能な平和を構築するという、困難だが避けては通れない道を示しています。

湯崎知事の訴えは、核兵器に頼らない安全保障の模索を促し、被爆地広島としての強い覚悟と責任感がにじむものです。

被爆80年。私たちは、広島が投げかけるこの問いを真摯に受け止め、「本当の平和とは何か」そして「そのために何をすべきか」を、自分自身の問題として考える歴史的な岐路に立っています。

国内外の反響や若い世代の共感も広がっており、今こそ私たち一人ひとりが「本当の平和とは何か」「次の時代にどんな世界を残すべきか」を自分ごととして考える時機ではないでしょうか。

この記事を通じて、広島発の平和への願いと行動が新たな一歩となり、世界の対話と変革につながる一助となれば幸いです。

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