2024年9月9日、一頭の競走馬が静かにその生涯に幕を下ろしました。
「負け組の星」として日本中を温かい感動で包んだハルウララが、繋養先であった千葉県御宿町の「マーサファーム」にて、疝痛のため29歳で永眠。
このニュースは瞬く間に日本を駆け巡り、そして国境を越え、遠くアメリカ大陸のX(旧Twitter)でトレンド入りを果たすという異例の現象を巻き起こしました。
「諦めない心を教えてくれた」
「本当に感動的でした。安らかに眠ってください」
「あなたは勝つことだけが全てではないと教えてくれた」
世界中から寄せられる追悼の声は、なぜこれほどまでに熱いのでしょうか。
その背景には、時代を超えて愛される物語と、現代ならではのテクノロジーが紡いだ新たな絆がありました。
【追悼】ハルウララ死去!なぜアメリカでトレンド入り?「113連敗の星」が愛された理由

世界が涙した訃報:29歳の大往生と「ウマ娘」が繋いだ絆
ハルウララの訃報が伝えられると、Xでは「#HaruUrara」がアメリカをはじめとする海外諸国でトレンド入り。SNS上には、様々な言語で彼女の死を悼む声が溢れました。
「Her story of never giving up, even in the face of constant defeat, was truly inspiring. Rest in Peace, Haru Urara.(絶え間ない敗北に直面しても決して諦めなかった彼女の物語は、本当に感動的でした。安らかに眠ってください、ハルウララ)」
「ウマ娘であなたを知りました。あなたの走りは、いつも私たちに元気をくれました。天国でゆっくり休んでください。」
「RIP Queen. You taught us that winning isn’t everything.(安らかに、女王。あなたは勝つことだけが全てではないと教えてくれた)」
この国際的な知名度の背景には、引退後に人気を博した育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』の存在が決定的な役割を果たしました。
ゲーム内でハルウララは、「どんなに負けても、レースに出られることが嬉しくて、いつも前向きで決して諦めない」純粋無垢なキャラクターとして描かれています。
この健気な姿が、ゲームを通じて世界中のファンを獲得。
史実の「113連敗」という記録が、ゲームのストーリーと相まって、単なる「弱い馬」ではなく「不屈の精神の象徴」として昇華されたのです。
その人気は具体的な支援の輪にも繋がりました。
2024年7月、認定NPO法人「引退馬協会」が運営する「生牧草バンク」の支援方法を英語で紹介したポストが海外で拡散。
これをきっかけに、世界中のファンからハルウララの余生を支えるための寄付が殺到し、国境を越えた「推し活」が大きな話題となりました。
ハルウララが亡くなった29歳という年齢は、サラブレッドの平均寿命が25歳前後とされる中で、まさに大往生と言えます。
晩年を過ごしたマーサファームの関係者に見守られながら、穏やかな最期を迎えました。
ハルウララ 経歴
「113連敗の星」として知られるハルウララは、その愛らしい名前とは裏腹に、一度も勝利を経験することなくターフを去った競走馬です。
しかし、そのひたむきな走りは多くの人々に勇気と感動を与えました。
誕生からデビューまで
ハルウララは1996年2月27日、北海道の信田牧場で生まれました。
父はG1マイルチャンピオンシップを2度制したニッポーテイオー、母はヒロインです。
しかし、生まれつき小柄で臆病な性格だったため、セリ市では買い手がつきませんでした。そのため、生産者である信田牧場が自ら所有し、高知競馬場の宗石大調教師に預けられることになりました。
入厩当初は、鞍をつけるだけで暴れるなど、非常に手のかかる馬だったと言われています。宗石調教師は「せめてのびのび育つように」との願いを込めて「ハルウララ」と名付けました。
連敗街道とブームの到来
1998年11月17日、ハルウララは高知競馬でデビューしますが、結果は5頭立ての最下位でした。
その後も負け続けましたが、体が丈夫で年間20回近くレースに出走できたため、出走手当で預託料の大部分を賄うことができ、引退を免れていました。
転機が訪れたのは2002年頃、高知競馬の実況アナウンサーが「勝てば○○戦目での初勝利」と紹介し始めたことから、徐々に注目を集めるようになります。
2003年には高知新聞でその連敗が報じられ、全国的な知名度を得ました。
社会現象へ
負け続けても懸命に走る姿は「負け組の星」「希望の星」として人々の共感を呼び、一大ブームを巻き起こしました。
100連敗達成: 2003年12月には「ハルウララ100戦記念」と名付けられたレースで100連敗を記録。
武豊騎手の騎乗: 2004年3月、JRAのトップジョッキーである武豊騎手が騎乗したレースでは、単勝馬券が1日で1億円以上も売れるなど、社会現象となりました。
最終的にハルウララは、2004年のレースを最後に、生涯成績113戦0勝(2着5回、3着7回)で現役を引退しました。
引退後と最期
引退後は千葉県の牧場で余生を過ごしていましたが、2025年9月9日、29歳でその生涯に幕を閉じました。
一度も勝てなかったにもかかわらず、その存在は多くの人の心に深く刻まれています。
伝説の始まり:2000年代日本を熱狂させた「負け組の星」

ハルウララの物語が日本で社会現象となったのは2003年から2004年にかけてのこと。
高知競馬でデビュー以来、一度も勝てないまま連敗記録を更新し続ける姿が、当時の不況やリストラ社会にあえぐ人々の心に深く響きました。
「負けても、負けても、ひたむきに走り続ける」
その姿は、結果が出なくても頑張り続ける多くの人々の共感を呼び、「負け組の星」として一躍国民的アイドルへと駆け上がりました。
このフィーバーが頂点に達したのが、2004年3月22日。当代きっての天才ジョッキー・武豊騎手が騎乗したレースです。
| 項目 | 記録 | 備考 |
| 当日の高知競馬場 | 約1万3000人 | 過去最高入場者数を大幅に更新 |
| レースの馬券売上 | 約5億1,162万円 | 1レースの売上として高知競馬史上最高記録 |
| 当日の総売上 | 約8億6,904万円 | 通常の1日の売上(約6000万円)の14倍以上 |
| 単勝馬券の売上 | 約1億2,175万円 | 「当たらないお守り」として購入者が殺到 |
このレースは、単なる1競走にとどまらず、当時の日本社会を巻き込んだ一大イベントとなりました。
伝説の一日:武豊騎手との共演
すでに100連敗を超え、「負け組の星」として全国的なブームとなっていたハルウララ。その人気が頂点に達したのが、この武豊騎手の騎乗でした。
異例の熱狂: 当時経営難に喘いでいた高知競馬場には、普段の数十倍にあたる約1万3,000人もの観客が殺到しました。
記録的な売上: この1レースの馬券売上は8億円を超え、高知競馬の1日の売上レコードを大幅に更新しました。ハルウララの単勝馬券だけでも1億円以上が購入されたと言われています。
全国の注目: テレビ各局が特別番組を編成し、レースの模様は全国に生中継されました。
多くのファンが「もしかしたら勝てるかもしれない」という淡い期待と、「いや、ハルウララは負けるからこそ価値がある」という複雑な思いで見守りました。
レース結果は11頭立ての10着。
武豊騎手が懸命に促すも、ハルウララはいつものように後方のままゴールしました。
しかし、ゴール後、場内からは敗者を責める声はなく、むしろ健闘を称える温かい拍手と「ウララ、ありがとう!」という声援に包まれたといいます。
勝つことだけが全てではない、ひたむきに走り続けることの尊さを、日本中に示した象徴的な出来事でした。
武豊騎手の言葉
レース後、武豊騎手は次のように語っています。
『強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の真の面白さがある』と僕は思っています。この気持はこれからも変わることはありません。しかし、高知競馬場にあれだけのファンを呼び、日本全国に狂騒曲を掻き鳴らした彼女は、間違いなく”名馬”と呼んでもいいと思います。
この言葉は、勝利至上主義だけではない競馬の新たな価値観を示し、ハルウララという存在がいかに特別であったかを物語っています。
この一連のエピソードは、ハルウララの物語の中で最も象徴的な出来事として、今なお多くの競馬ファンの心に刻まれています。
「幸運のお守り」になった馬券
武豊騎手の騎乗エピソードと並んで、ハルウララを語る上で欠かせないのが「幸運の馬券」ブームです。
ハルウララの馬券は「(当たりを)擦りもしない」ことから、交通事故に遭わない「交通安全」や、試験に「当たらない(落ちない)」という「学業成就」のお守りとして大人気となりました。
多くの人がレースの勝ち負けではなく、この「縁起物」を求めてハルウララの馬券を購入し、社会現象の一端を担いました。
ハルウララが現代に遺したもの:勝ち負けを超えた価値観
ハルウララの物語が、なぜ没後20年近く経った今、再び、しかも世界規模で人々の心を捉えるのでしょうか。
それは、彼女の生き様が現代社会の価値観と強く共鳴するからです。
多様な価値観の肯定「勝利」や「成功」を至上とする価値観だけでなく、「挑戦し続けること」「ひたむきであること」そのものに価値を見出す現代の風潮と、ハルウララの姿は完璧に一致します。
SNS時代において、こうしたストーリーは共感を呼びやすく、瞬く間に拡散される力を持っています。
コンテンツが紡ぐ「第二の馬生」『ウマ娘』というコンテンツは、ハルウララに新たな命を吹き込みました。
ゲームを入り口として史実を知り、引退後の馬を支援する。これは、過去の競走馬の功績を風化させず、新たなファン層を開拓し、アニマルウェルフェア(動物福祉)にも繋がる画期的なサイクルを生み出しています。
グローバルな「推し」文化の象徴
かつて高知の小さな競馬場から始まった物語は、デジタルコンテンツとSNSを通じて世界中の人々の「推し」となりました。
言語や文化の壁を越えて、一つの物語を共有し、支援する。ハルウララの訃報に寄せられた世界中からのメッセージは、現代のグローバルなファンコミュニティの温かさと強さを示しています。
生涯成績113戦0勝。数字だけを見れば、彼女は一度も勝てなかった競走馬です。しかし、ハルウララは人々の心に「希望」「勇気」「感動」という、どんな名馬にも劣らない輝かしい勝利を刻み込みました。
その小さな体で懸命に走り続けた姿は、これからもきっと、時代や国境を越えて多くの人々の心を照らし続けることでしょう。
安らかに、ハルウララ。あなたの物語は、永遠に。


